医院の歴史



ここでは木村医院の歴史をご紹介いたします。
ただ長く続いただけと言ってしまえばそれまでですが、先祖代々地域医療の一端を担って来たと自負しております。


■歴代院長
初代:木村喜間右衛門
   寛政年間(1790年頃)創業〜文化3年(1806年)
   *場所は宝地村(現在の長岡市宝地村)

二代:要貞(ようてい/字は重愷)〜文化10年(1813年)
三代:古立(こりつ)〜文政10年(1827年)
四代:閑斎(かんさい)〜天保3年(1832年)
五代:叔庵(しゅくあん)〜慶応3年(1867年)
   *晩年に関原町に移住。屋号は「梧桐亭」。

六代:謙哉(けんさい)〜明治23年(1890年)
   *明治2年、長岡に先駆け種痘治療を行う。屋号は「嶺北館」。
    牛肉食やランプの移入など、新しいものが好きだったようです。

七代:貞哉(ていさい)〜昭和5年(1930年)
   *明治14年東京大学医学部卒業。屋号は「木村医院」。
  
八代:鎌治郎(かまじろう)〜昭和32年(1957年)
   *明治41年千葉医専を卒業。

九代:猛(たけし)〜平成5年(1993年)
   *昭和11年東京医専(現在の東京医大)を卒業、軍医としてビルマまで転戦。
    終戦後に木村医院を継ぎ、町内会長を努めるなど地域貢献に尽くしました。



■往診の乗り物も時代とともに変わりました。
資料によれば、六代目謙哉は「駕篭、馬、牛、人力車、橇(そり)」を使って往診先を回ったとの記録が残っています。また、八代目鎌治郎は「人力車、自動車、冬は橇」だったそうです。雪深い冬の往診は「橇」だったんですね。


九代目猛が愛用していた往診カバン。
どんな雨風でもこのカバンを抱えて患者様のお宅を回っていました。



*当院には先代から伝わる医療器具などが多数残されています。
 いずれこのサイトでも紹介致します。